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キヤマのルーツ

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岡山出張の先乗りで四国にまで足を延ばした。私の父親の出身地である。
キヤマのルーツは、先代社長(父親)の出身地である香川県坂出(さかいで)市の城山(きやま)に由来する。昭和30年代後半、遠く離れた静岡の地で起業しようと決めた時、自身の出身地にゆかりのある名前を借りて、城山工業所(きやまこうぎょうしょ)と名づけた。それが現在の社名キヤマにつながっている。
今回、そのルーツを辿って城山に登ってみた。

高松駅から予讃線(瀬戸大橋線)に乗って鴨川駅で下車。そこから車(タクシー)で20分ぐらい走って山頂に辿り着く。この写真は山頂にあった案内板。国の史跡として指定されているらしい。謎の遺跡、城山。
以下坂出市HPからの抜粋。

城山は地名からもわかるとおり古代山城の遺跡があり, 早くから国指定の史跡となっています。 また,一方で城山の城跡は城山長者の伝説と結びついていて,坂出の昔話として語り伝えられています。城山は朝鮮式山城とも神篭石とも呼ばれていますが,今日では朝鮮式山城に類似する構造の城跡と考えられています。 朝鮮式山城は7世紀後半頃の朝鮮半島の政治的緊張に伴い,日本国内の防御体制を整えるために築かれたとされています。城山の城跡は山頂の平たん部を中心に確認されており,平たん部から急斜面へと変換する地点付近には石塁・土塁が一重から二重に巡らされています。
車道(くるまみち)と呼ばれるこの遺構は,足の具合の悪かった娘を車に乗せて,長者が一緒に散歩したものだと語り伝えられてきました。
このほか,山中にはホロソ石(文中写真)・マナイタ石と呼ばれる奇妙な石製加工物が散在していますが,これらは幾つか存在したと考えられる城門の礎石では ないかと推測されていますが,ホロソ石一対とマナイタ石とで城門の礎石が組まれたなら,その数が足りないことや,その発見場所が全く離れていたりすること など,不明な点が多く,破壊されたためではないかとか築造途中に放棄されたのではないかなど,諸説が考えられています。いまだなぞに包まれた遺跡なのです。

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山頂から瀬戸内海を望む。瀬戸大橋が見渡せる。ここは番の州臨海工業団地と呼ばれ重工業の中核地域となっている。といわれたのはもう既に昔の話なのだろうか。自分が小学生の頃に自由研究課題として何度か訪れたことがあるが、その頃の街の雰囲気・活気がカメラの向こうから感じとれない。時代の移り変わりを感じる。

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城山山頂から下りてきて、“四国霊場第七十九番札所” 天皇寺高照院近くにある八十場の霊泉に到着。この場所に昔からあるお店、清水屋のところてんが美味しい。何度かHP経由でところてんを取り寄せしたことがある。味は変えずに勝手を変える。これも時代といってしまえばそれまでだが、先の番の州工業地帯の移り変わりについて生き残る術としてヒントになるのではないか。キヤマも同様。
このすぐ横にわたしたちのご先祖様が眠っている。お参りして心清らかに。この後、近くの八十場駅から電車に乗って高松に戻った。

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高松に戻り、丹下健三さん設計の香川県庁舎にも足を運んだ。写真は夕暮れの新・旧庁舎揃い踏み。圧倒的というのではないけれど、強い存在感。
この後、従兄弟のケンちゃんのお店(食酒場ルパ)に行った。久しぶりに会ったケンちゃんは志度商業で甲子園のベスト8までいった俊足のトップバッターなんだよね。(ちょっとした親戚自慢です)その時となんにも変わらない(姿かたちは変わっているけど。。)オーラがある。それがとてもうれしかった。ケンちゃんと同級生のキタイさん、西表島の話で盛り上がったホシくんとサキちゃん、ちょっと斜に構えて粋なクロちゃん。初めて会ったみんなだったけど、とっても楽しかったー。お店ここだよって紹介しようと思って写真撮ろうとしたら、ケンちゃんNGだって。ここのマスター、ちょっとかわってる。でもすごく好きなお店。

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