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2010-07

中国出張02(上海)


今回の出張目的は、中国国内のPC(プレキャストコンクリート)建築プロジェクトに関する打ち合わせ会議への出席。場所は上海にあるゼネコン事務所。前回出張時に訪問した型枠業者も同席して総勢30名以上での会議。その中で日本人は2名。プロジェクトの中心におられるSDG渡辺邦夫さんと私。渡辺先生は日本語以外は使わない。すべて日本語。秘書の通訳の方がリアルタイムで中国語、日本語を使い分けて説明を進めて行く。もちろん会話にタイムラグがあるがそれで思考が途切れることはない。むしろ拡がっていく感じがする。この場にいるとコミュニケーション能力とは会話能力ではないことがよくわかる。自分の思いをどれだけ相手に伝えたいかという力がコミュニケーション基礎力。そこに技術(会話能力は単に一つの技術ではないかと思う)が加わると如何様にも能力が倍加していく気がする。渡辺先生は間違いなくコミュニケーション能力が高い。基礎力が圧倒的に高いのか、技術がハンパでないのか、あるいはその両方かまだわからない。ひとつだけ気がついたことは、自身の持っている知識や技術だけでなく第三者のそれも拡張させる技術を持っていること。柔軟な筋肉のように柔らかくしなやかに。感覚的に”初動負荷理論”と近い感じがする。この発見は今回の大きな成果。

この写真は宿泊ホテル前にあった上海のゼネコンが施工している建築物。上海のあちらこちらで手がけているようで、聞いた話では日本のゼネコン上位5社の売上げ総額と同じ規模の会社らしい。

沖縄 首里


沖縄本島には長男がいる(大学生)が、バイトが忙しくて沖縄に来てもゆっくりと会える時間がない。それでも静岡に帰る直前、空港とアパートの中間地点(モノレール終着駅、首里駅)で待ち合わせることに。

そのあと一緒に昼飯を食べに行った。息子推薦の首里そばのお店 へ。旨かったーー。沖縄そばの味覚を繊細にした感じがする。(麺もスープも旨いです)ホント、並んで待って食べた甲斐があった。

写真は首里城守礼門前。

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沖縄 那覇

お世話になった叔母さんのおくやみで那覇に行ってきた。

無事に葬儀を終えホテルに戻ってから夕方の国際通りへ。写真は私の父親。このショット後、久しぶりに父と国際通りの裏手にある居酒屋で酒を飲む。(いつも近くにいるけれど差しでお酒飲むのはホントに何十年振りだろうか)若い頃(終戦直後)沖縄で仕事をしていた頃の話(米軍直轄の会社から溶接職人として請けた那覇港の護岸工事の話)やその当時のアメリカ人の日本(日本人)に対する視線、ものの見方。そしてウチナンチュー(沖縄の人)、ヤマトンチュー(本土の人)、アメリカ人のバランス関係。その当時の国際通りの様子、安慶名(今のうるま市)で母親に出会う話までとにかく話は尽きない。60年前にこの地で生き抜いてきたという自信が舌を滑らかにするのだろうか。。因みに右側が父親です。(よく似ているので間違えるかも)

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